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Japanese Translation
Huntington Quarterly (Spring 2003)
Japanese Translation
Huntington Quarterly誌インタビュー日本語翻訳!!

Many Thanks to Huntington Quarterly!!

Huntington Quarterly誌インタビュー日本語翻訳!!
 翻訳: Life is Gas様

Life is Gas様から、Dourif様のご生地ハンティントンの地元誌Huntington Quarterly誌での、
素敵なインタビューの翻訳を頂きました。他ではお話されないような暖かい内容です!
Dourif様かわいいですっ!ますます好きになりますよ。みなさま、お楽しみくださいませ。



リンクになっている文字からは小さいウィンドウでそれに関する解説が読めます。
ぜひそちらも読んでみてくださいね。


雑誌提供:Huntington Quarterly様
筆者:Clint McElroy様
翻訳:Life is Gas様

(表紙)
ハンティントン生まれのブラッド・ドゥーリフ、HBOの新西部劇連続ドラマと大ヒット映画「ロード・オブ・ザ・リング」の大役で成功

熱情の人−ブラッド・ドゥーリフ

(目次)
実力派俳優ブラッド・ドゥーリフに直撃
ハンティントンが生んだ最も優れた俳優ブラッド・ドゥーリフのハリウッドでの成功。

表紙写真
俳優ブラッド・ドゥーリフ。現在、HBOのオリジナル・シリーズ「デッドウッド」への出演準備中。ロスアンゼルス近くの自宅にて撮影。

(特集記事)
「ハンティントン出身で最も優れた俳優ブラッド・ドゥーリフは、 HBOの新作西部劇シリーズに出演するほか、大ヒット映画「ロード・オブ・ザ・リング」の役では批評家からも賞賛され、成功している。」

ブラッド・ドゥーリフはアカデミー賞、映画俳優協会賞(SAG)の候補になり、ゴールデン・グローブ賞や業界の様々な賞に輝いてきた。既に100本近くの映画に出演し、ジャック・ニコルソン、ジェームズ・アール・ジョーンズ、フェイ・ダナウェイなどとも共演する一方、ジョン・ハドソン、デビット・リンチなどの世界的に有名な監督とも仕事をしてきた。TV番組への出演も多く、「Xファイル」「ジェシカおばさんの事件簿」「マイアミ・ヴァイス」などにゲスト出演している。また舞台で活躍したこともあり、一時期、高く評価されている劇団サークル・レパートリー・シアターに所属していたこともある。

そして、彼はハンティントン出身なのだ。

ではハンティントン生まれで最も成功した俳優ブラッド・ドゥーリフを紹介しよう。多分、ご存知ない読者もいるだろう。

10人にブラッド・ドゥーリフって誰?と質問したら、9人は「知らない」と答えるだろう。しかし、10人目に「『カッコーの巣の上で』(『アイズ』/『ロード・オブ・ザ・リング:二つの塔』)に出てた人じゃない?」と答える人がいるかもしれない。

インターネットにアクセスしてInternational Movie Database( http://www.imdb.com/)のサイトで、「Brad Dourif」を検索すると、映画やTV番組の出演作リストが次々に現れる。一人分にしては、実に立派な経歴だ。ショー・ビジネスでの30年のキャリアと数々の実績を見ると、ドゥーリフはハンティントン中心街のパレードで特別ゲストになったり、彼の名前をつけた通りができたり、ハンティントンの「殿堂入り」してもおかしくないと思うだろう。しかし、こうしたことは何一つ実現していない。何故だろう?

「僕は『隠者』なんだよ」とドゥーリフは笑って言った。

彼は1950年3月18日にハンティントンで生まれ、オハイオ川沿いのストートン通りで育った。

「素晴らしかったよ。よく最終の外輪船がオハイオに向けて川を上っていくのを見ていたものだよ。」

ドゥーリフの父親は町で染色工場を所有していたが、彼がまだ3歳の時に亡くなっている。しかし、その影響は色濃く残り、ドゥーリフは後に最高の恐怖映画に出演することになる。「父はとても猟奇趣味のある人で、骸骨の作り物とか、その類の気味の悪いものがいつも家中にあったよ。」

父の死後、ドゥーリフの母ジョーンは、世界的なアマチュアゴルファーでハンティントンの高名な実業家ビル・キャンベルと再婚した。ドゥーリフによればキャンベルは養父として実によくやっていたという。「彼はどちらかといえば厳しかった。でもね、僕は宇宙飛行士候補生かぶれで、彼にとっては理解しがたい世界の話だったんだ。」

しかし、俳優という職業についてはジョーンが最も強い影響を及ぼした。彼女は地方劇団コミュニティー・プレイヤーズに積極的に参加し、そのことが彼が演劇を志す最大の動機になった。

「役者になりたいと思った最初のきっかけをたどると、ある出来事を思い出す。母が『アナスタシア』のリハーサルをやっているのを見た時だった。彼女は本当に素晴らしくて、自分も演技をしてみたくなったよ。」

やがて彼も同じコミュニティー・プレイヤーズや他の演劇団体に深く関わるようになり、演技の道に入っていった。コミュニティー・プレイヤーズが上演した「冬のライオン」では母と共演したこともあった。

やがて彼はマーシャル大学に進んで、演技の学術的な面を探求する一方、引き続き地方劇団での活動も活発に続けていた。エレイン・ノバック博士は彼が師事した教授の一人だが、クラスで上演した「ロミオとジュリエット」でロミオを演じたドゥーリフの素晴らしさを今でも覚えている。「彼は素晴らしくて、あの頃でも何か特別なものがあると分かったわ」とノバック博士は語った。

ドゥーリフもこの作品を覚えている。「この間、そのことについて話したばかりなんだ。」彼が恋人と一緒に友人の子供達の面倒を見ていたとき、子供の一人が恋人の教材を引っ張り出してきた。それでブラッドは彼女が「ロミオとジュリエット」について学んでいることを知った。その出来事で大学時代の上演を思い出したと言う。「記憶が確かなら、ナンシー・ポリーノという子と演ったんだが、とても上出来だったはずだ。」

「マーシャル大学では政治的ネタの作品も上演した。『ファイヤーサイン・シアター』 みたいなパロディー風作品だったよ。」上演後、同じ大学の生徒が一人彼に近づいてきて、彼に尋ねた。「ここで何してるの ?」

「僕は『人生を無駄にしてるのさ。どう見えるんだい。大学になんか行ってるんだからね。』って答えたのさ。」すると彼女は彼に「あなたはニューヨークに行くべきだわ。」と言った。

これがドゥーリフとコンチャータ・フェレルとの長い友情の始まりだった。フェレルは100本を超える映画やTV作品に出演し、最近ではTVシリーズの「プッシュ、テキサス」やアダム・サンドラーの「Mr.ディーズ」に出ている。

1969年、ドゥーリフはマーシャル大学を中退してニューヨーク市に向かった。それはまさしくニューヨークの舞台での成功を目指し、眼差しに希望を秘めた若者の典型だった。こうした話は多くの場合、結局、若者(若い女性)が帰郷するために必要なバス代を稼ぐまで、駐車係やレストランの給仕として働くという結果になる。

しかし、彼の場合は違った。

ドゥーリフがニューヨークに移ると、フェレル(彼はチャッティと呼んでいる)とルームメイトになった。「僕とチャッティは 58丁目で10番街よりずっと西にあるアパートで新生活をスタートしたんだ。近所は物騒なところだし、劇場まで遠かったよ 。」劇場までの行き来が遠距離だったのはおそらく問題になっただろう。それというのも、彼は高名なサークリ・レパートリー・カンパニーで精力的に仕事をすることになったからだ。

「大変だったよ。3年間休み無しだったし。なんとかやっていける分しか金は無かった。外出したりしなければ生活はできたけどね。」

彼の主演作「When You Comin' Back, Red Rider」では、丁度「カッコーの巣の上で」の映画化を手がけていた映画監督のミロシュ・フォアマンが観客の中にいた。監督はその日のドゥーリフの演技を見てビリー・ビビット役を彼にオファーする気になった。

「実はその時、監督たちは誰か他の役者と交渉していたんだけど、監督が僕をみて使おうと決めたんだ。その時点で僕は役をもらったんだ。知らなかったけどね。」

それこそがドゥーリフ氏のキャリアの決定的瞬間だった。この役で彼はジャック・ニコルソンやルイーズ・フレッチャーなどの大物俳優と共演した。「彼なりに頑張った」というのは、あまりに控えめな言い方すぎる。彼は吃音で精神的に非常にもろいというビリー・ビビットを演じて、アカデミー助演男優賞候補になったのだ。しかし、この映画の制作時の思い出について尋ねられて彼が思い出すのは役作りの事だった。「言語療法士と一緒にやったんだけど、どういう風に吃るかという教科書まであったよ。本当に奇妙だった。」

この役で、ドゥーリフはオスカー候補になったほか、ゴールデン・グローブ賞を受賞し、BAFTA(英国アカデミー賞)にもノミネートされ、数々の栄誉に輝いた。そして当然のごとく、多くの出演作のオファーを受けた。しかし、ドゥーリフは距離を置くことにした。「『カッコーの巣の上で』で僕の生活は一変した。僕は、自分がまだ若すぎると感じたんだ。少しばかり早すぎたんだよ。」彼はニューヨークへ、そして舞台へと戻っていった。彼自身演劇を続けると共に、コロンビア大学で演技と監督のクラスで教鞭を取った。

しかし、結局1988年、ハリウッドに移り、先に述べたような数々の映画やTV作品に出演していった。意外なことに、彼自身は自分の出演作を見るのがつらいそうだ。彼はごく最近になってようやく「カッコーの巣の上で」をビデオで見たそうだが、その時も通して見ることができなかったという。「自分を見るのは耐えられないよ。」

しかし、明らかに世間には彼の演技を堪能している人々がいる。彼は「アイズ」「ラグタイム」「ミシシッピー・バーニング」で重要な役を演じ、デビッド・リンチ(「ブルー・ベルベット」「砂の星」)やジョン・ヒューストン(「ワイズ・ブラッド」( 79))など、画史上で最も評価されている監督とも仕事をしている。

ドゥーリフによれば「デビッドは素晴らしい人で、誰でも喜んで協力したくなるような男だ。」という。「僕が一緒に仕事をした中でも一番おかしな監督だった。」

ヒューストンはそれほどおかしくはなかったようだが、同じように印象深い人物だった。「彼はその場で撮ったものが使えるか使えないかをほとんど決めてしまうんだ。僕が仕事をした中で、一番の倹約家だね。大抵毎日午後 3時半には仕事は終わったんだから。」

現在、ブラッドは今日最も成功した監督の一人であるピーター・ジャクソンと働いている。監督は彼を「ロード・オブ・ザ・リング」三部作の第二部、第三部で「蛇の舌グリマ」に配した。

「何度かオーディションを受けて、役を取ったと思ったんだけど、その時はもらえなかったんだ。」役は他の俳優に回ったが、その人物が蹴ったため、ジャクソンはすぐにドゥーリフに話を持ちかけた。「英国流のアクセントは思っていたより難しくて最初は苦労したよ。でも撮影が始まるまでには、流暢にこなせるまでになったけどね。」

蛇の舌という役は三部作で数少ない悪人で、彼のお気に入りに役の一つになった。「(ロード・オブ・ザ・リング:二つの塔で)好きな場面の一つは、ミランダ・オットーとのシーンだな。」その場面で蛇の舌はオットー演じるエオウィン姫を言葉巧みに篭絡しようとする。「このシーンが気に入っている理由は、言葉が美しいことと、二人の興味深い登場人物像がより深く描かれる場面だからだ。」

同時に彼はジャクソン監督との仕事を楽しんだ。それはジャクソンが俳優を決めてから、脚本家に役について書かせるからだ。「脚本家は役者と会ってからその役者に合わせて台詞を書いていくんだ。」

蛇の舌は三部作の最終作「王の帰還」でも登場するが、登場シーンがどの位にあるかは彼にもまだ分からない。「ニュージーランドに戻って撮り直しをするかもしれないけど、眉毛を剃るわけにはいかない。それに新しいTVシリーズのために髭は取っておかないと。」

新しいTVシリーズとは2003年にHBOでプレミア放映される予定の「デッドウッド」だ。サウス・ダコタ州に実在する町デッドウッドを舞台にし西部劇シリーズだが、少々ひねりを効かせていることは想像に難くない。「話はワイルド・ビル・ヒコックが町にやってくるところから始まる。彼は10日後に死んでるから、このシリーズは町についての物語なんだ。」ドゥーリフはこの町の医者を演じている。ブラッド・ドゥーリフが演る以上、この医者には少々変わった性癖があるわけだ。「彼は解剖に凄く関心があるんだ。死体を切り開くのが好きなんだよ。興味深いキャラクターだよ。」

ブラッド・ドゥーリフは「興味深いキャラクター」について心得がある。彼はここ30年間で最も成功したホラー映画やスリラー映画にいくつも出演している。実はこれは皮肉な話なのだ。「心臓に悪くて僕自身、怖い映画をおとなしく観ていられないんだ。若い頃はハロウィーンとか怖い話をするのが好きだったけど、長続きはしなかったよ。」彼は10代の頃、映画「ふるえて眠れ」 を見に行ったときのことをよく覚えている。

「椅子の下に潜り込んでしまったんだ。どうしていいか分からなくてね。」

更に皮肉なことに、ブラッド・ドゥーリフは映画「チャイルド・プレイ」シリーズで、映画史上もっとも恐ろしい怪物、殺人鬼人形「チャッキー」の声を担当しているのだ。

「愉快なやつだよ。彼は自分の仕事を楽しんでいるのさ。」ドゥーリフは、チャッキーはとても変わったキャラクターだが、彼を惹き付ける現実的な面もあるという。「今は、僕にとってはとてもやりやすくなったよ。」

多くの俳優同様、ドゥーリフは自分の生い立ちが演技を形作っているという。ハンティントンでの子供時代も影響しているのだ。

「数年前にハンティントンでストートン通りを車で通りかかったんだ。家に立ち寄ったり、ドアをノックしたりしなかったけど、僕が育った所だったんだ。もちろん僕に影響をしているよ。」

彼は折に触れ故郷に戻っている。そして数ヶ月後にも家族の集まりで戻ることになっている。もし、パレードなり、通りの改名なりを計画するなら、すぐにとりかかった方がいいだろう。有名な出演作の上映会をやってもいいかもしれない。

ただし、彼にずっと席についていてもらおうなどと期待してはいけない。特に怖い映画では。

(筆者紹介)
クリント・マッケルロイ:ハンティントンのフリーライター。WTCRラジオの「モーニング・ショー」のパーソナリティの一人でもある。

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